こんにちは。暮らしっく不動産の徳留です。
昔から日本史が好きで旅に出るとなんとなく地元の博物館に足を運んでしまいます。
教科書で見た肖像画や道具を見るとなんだかワクワクします。
不動産と歴史を結び付けられないかと考えながら、大河ドラマを見ていたのですが、豊臣秀吉を見ていて思い出したことがあります。
豊臣秀吉
豊臣秀吉おじさんです。農民の出身にして織田信長にとりたてられて出世した武将。
歴史のドラマだと最初は泥だらけで信長の草履を温めているシーンが必ず描かれており下積み感満載なのですが、殿様になると女好き、金の茶室と成金感満載で描かれていることが多いです。
個人的には竹中直人が演じる秀吉がぼくの秀吉像にぴったりです。
さて、織田信長のあとをついで全国統一を果たすわけですが、彼が行った政策や人柄、覚えていますか?
小学校の社会のテストでも書きましたね。
政策
- 刀狩り 農民達が武装して一揆をおこさないように武器を没収。
- 太閤検地 米の石高を統一した道具で測量。確実な税収を得る手段。
- 惣無事令 大名間の私闘を禁じたもの。
テストには出ないけど、説がある雑学
- 指が6本あった説(ルイスフロイスの記)
- 髭が薄かったので付け髭説
- 信長が秀吉の妻に宛てた手紙の中に"禿げネズミ"と書いているものがある。
wikipediaに掲載されている興味深かった記述
ルイス・フロイスは、秀吉の外見以外については、
- 優秀な武将で戦闘に熟練していたが、気品に欠けていた。
- 極度に淫蕩で、悪徳に汚れ、獣欲に耽溺していた。
- 抜け目なき策略家であった。
- 彼は本心を明かさず、偽ることが巧みで、悪知恵に長け、人を欺くことに長じているのを自慢としていた。
- ほとんど全ての者を汝(うぬ)、彼奴(きゃつ)呼ばわりした。
この記述だけ読むと、地方出身の大物政治家みたいな雰囲気だったのかなぁと思います。
(一人思い当たるオリンピック問題で騒がせた現代の政治家が喉元まででかかっているのですが、あえて書かないです。お察しください。)
太閤検地
不動産屋のコラムなので不動産ネタにします。
秀吉の行った太閤検地。戦国時代までは年貢(要は税金)をおさめるのにも地方によってバラバラの升や地方ルールによって行われていました。
ところが豊臣秀吉が全国統一を果たしたことにより各地の武将は秀吉の配下になります。地方ルールがまかりとおっていると安定した年貢が取り立てられません。
そこで行ったのが太閤検地です。
全国で統一された測量の道具を使い、田の広さを測量。田んぼに4段階のランクをつけて生産量を決めて年貢をおさめさせたそうです。
田の評価は4段階
田んぼごとにランクをつけて生産量を決めていたそうなので、それを表にしてみました。
上田 | 1反あたり1石5斗の生産性 |
中田 | 1反あたり1石3斗の生産性 |
下田 | 1反あたり1石1斗の生産性 |
下々田 | 1反あたり9斗の生産性 |
このように田んぼのランクを4段階にわけて生産量を決めたそうです。
わかりにくいので単位を現代の単位に変換します。(1反=991m2 1石=10斗=100升=1000合=150kgで計算)
上田 | 991m2あたり225kgの生産性 |
中田 | 991m2あたり195kgの生産性 |
下田 | 991m2あたり165kgの生産性 |
下々田 | 991m2あたり135kgの生産性 |
450年前の収入を計算してみる
この頃は村ごとに総石高のデータを取っておさめていたようなので、個人でどれだけの石高があったのかは不明ですが、現代の米農家の作付け面積の平均が1haということなのでそれで個人分を計算してみます。
(現代技術による収穫量の増加や兼業農家の増加は考えないものとする。)
出典:農林中金総合研究所(https://www.nochuri.co.jp/report/pdf/n1201re3.pdf)
1ha=10,000m2ですので、一農家あたり10反の作付け面積。
計算しやすいように上田で計算します。
10反225kg=2,250kgの生産量
2,250kg150kg(1石)=15石の生産量
一農家で2250kg(15石高)の米を生産していたとします。
これだけだと面白くないので、現代の米の買取価格に照らし合わせてみます。
出典:農林水産省平成26年産米の相対取引価格(出荷業者・3月までの平均)
http://www.maff.go.jp/j/kobetu_ninaite/n_seido/seido_suikei/pdf/26_3_kakaku.pdf
この資料によればこのデータは玄米60kgあたりの取引価格だそうです。
せっかくなのでみんなが知っているであろうコシヒカリで考えてみましょう。
新潟県コシヒカリ一般 15,512円/60kgと書いてあります。
一農家2250kgの生産量で得られる収入は
2250kg60kg=37.5
15,512円37.5倍=581,700円とします。
450年前の税率は66%!
さて、太閤検地の頃の税率をみなさま、ご存知でしょうか?
この頃は二公一民といいまして66.6%を税金として持っていかれる時代です!
2,250kg生産した米のうち1,498kgを税金としてもっていかれていたのです。
残ったものは752kg。これを現金換算すると19万4417円。
58万円手に入るはずだったのに19万円しか手に入りません。
もはや暴動レベルです。
ちなみにですが、毛利藩は73%の税率を取っていたそうです。(これが山代一揆の原因と言われている)
信長の野望
一昔前に信長の野望というゲームが流行りました。
このゲームは自分が一大名となり全国制覇をするゲームなのですが、他国の武将が攻めてきたり、九州であれば台風が来て米の生産が落ちたり、雪の降る地域であれば冬季は山越えができなかったりとなかなかよくできているゲームです。全国統一を急いで戦を沢山したいからと米を確保するために税率をあげると一揆が起きて内部崩壊します。ぼくは優しい大名でしたので53%という税率でやっていました。
ちなみに生産量は治水をすると農民が喜んで生産量をあげてくれます。
現代の税率 年収400万円で25%くらい
ここでファイナンシャルプランナーの門伝にバトンタッチします。
現代の税率は収入によっても違いますが、国税局が発表している平均年収では415万円。
年収400万円(独身のサラリーマンとしての計算)で所得税、住民税などからざっくり計算すると約25%。
月25万円が手元に残ります。
もし時代が変わらず税率は66%のままだったとすると、月11万円ほどで生活していくことになります。
今考えると恐ろしい時代ですね。
さいごに
66%もの税率を取られていた太閤検地の時代。
それでも生活できていたというのもすごいですね。
たしかに、いろんなものが自給自足だったであろう安土桃山時代であれば生きていけたのかもしれません。
もちろん一切の無駄をなくせばだと思うのですが。
日本史を覚えるうえで大事なことは、日本の土地の所有者がいったい誰だったのかを覚えるといいといいますね。
時の権力者の気まぐれにより国民の生活は一変します。権力者はわがままだ!
それでは!