『キャンパスメイト』
結局3部屋しか比べられなかったけど、ほんとにここに決めちゃってよかったのかなぁ、と洗濯機を設置してくれている見知らぬお兄さんの背中を見ながら思った。
電子レンジつけるの終わって洗濯機今つけてもらってる、とお母さんにメッセージを送ると、どんな人? あぶなくない? 変なことあったらすぐ警察呼ぶんだよ!! と、返事が止まない。ポーン、ポーン、と鳴り続けるスマホに苦笑いしながら、すみません、と言うと、お兄さんが心なしか急いで洗濯機の排水部分をくっつけた。
あの、と声をかけると、お兄さんは、設置料も送料も購入時に含まれているので大丈夫ですよ、としゃがんだまま振り向いて笑った。あごで短いヒゲが中途半端に生えているのが気になった。
代金の支払い方も分からない田舎から出て来た女の子だと思われたんだな、とすぐに分かった。部屋を見渡すと、真新しいローテーブルとシングルベッド、ラグが配置され、大人になれたような気もするけれど、実家から持ってきた枕は子供っぽいキャラクターのカバーがかけられていた。
これでもう使えますので、と立ち上がって、お兄さんはお辞儀をして帰って行った。部屋をチェックされるんじゃないか、何かプライベートなことを聞かれるんじゃないか、部屋の鍵でも持っていかれるんじゃないかと思ったけれど、そんなことはなにもなく、あっさり来てパッと設置して、さっと帰ってしまった。
もう使えるって言ってお兄さんはもう帰った、とメッセージをすると、なにもなくて良かったぁ、明日行くからねー入学式楽しみだねぇ、とお母さんからウサギのようなクマのような踊るスタンプが三回も送られてきた。
はーい、と返事をしながら、一人でラグの上に座ってみても、静かすぎて落ち着かず、テレビをつけた。
テレビ局の名前が違うし、何チャンで何がやってるか全然分からない。なんだかしゃべっていることが早い。ニュースは標準語でずっと聞いて育ってきたはずなのに、画面に映る景色や地名が全て行ったことのない場所ばかりで戸惑った。テレビのなかのやけに綺麗なリポーターの女性が取材をしている公園は、まだ桜が少ししか咲いていないのに、ブルーシートがびっしりひかれていた。歩くとこないじゃん、と思うも、話かける人がいないことに気づいて、まなぽんにメッセージを送った。
洗濯機おわったよ〜もう来れそう? と送ると、今最寄り駅、ドーナツ買っていくね、と返事をくれた。ベッドのカバーを整えて、買ったばかりの掃除機を初めて使った。慣れないからか、ヘッドの角を壁になんどもぶつけた。冷蔵庫を空けると麦茶とコーラが入っていて、なんとかなりそうな気がした。とりあえず広がっていた段ボールを玄関の壁にまとめてたてかけた。
ピンポンピンポンと鳴るモニターのボタンを押すと、小さな画面にまなぽんが写り、すぐにオートロックの扉を開けると、まなぽんはまっすぐマンション内に入り、画面から消えた。
今度は玄関がピンポンと鳴り、一応覗き穴を覗くと、まなぽんはぼんやりした顔で開くのを突っ立って待っていた。
「気の抜けた顔してたね」
そう言って玄関を開けると、えーせっかく来たのにーと言いながらまなぽんがドーナツ屋さんの袋を差し出した。受け取ると思ったよりもずっしりした。
「まなぽんはもうこっち来て2週間?」
入って入ってと手招きすると、まなぽんはおじゃましまーすと靴を脱いで入ってきてくれた。
「3週間くらいになるかね? なんか大学のガイダンスがあったし早い方がいいと思ってて」
「他の子も言ってたんよ。入学式前にテストあるって、なんかレベル分けの」
「それねそれね。ゆーみんは明後日の入学式が初?」
「そそ。入学式の日はなんかみんなスーツだし緊張するしでよく
答えながら冷蔵庫から麦茶を出し、コップに注いだ。まなぽんが買ってきてくれたドーナツの袋を開けると、2人なのに10個くらい色々なドーナツが入っていた。
「うわ、すっごい、シュガーとイチゴのも抹茶のもある。お金払うよ」
「いいいい。なんかこっち来てからおとーさんがまぁまぁなお金送ってきててね、よく分からないけども、せっかくだからこういう時に使おうと思ってて、って言っても1個100円よ?」
「まじか。ありがとうまなパパ! ありがとうって言ってね」
「うん。ってか、ゆーみんの大学ってどんな感じね?」
「え、どうなんだろ。推薦だったから1回見学して面接受けただけだから、正直あんまり分からんのよね」
「そっかぁ。なんか、こないだガイダンス行ったし、そんとき、みんな結構うるさめっていうか。女子女子しててどうしよっかと思ったんよねぇ、超不安」
イチゴのドーナツをつまんで噛み付きながら、ふーんと答えた。
「田舎の女子校とはちょっと違う女子たちって感じ?」
「そうそう! ゆーみんのとこはどうか分からんけども、うちら田舎の女子校だってほんっとに思うね。まず電車超疲れっし」
「それ不安! だってあんな乗らないし、人。人すさまじいね、誰も譲らないし」
「それね! 駅の譲らなさ異常!」
「あと大学で方言注意よー。田舎からって言うと、方言? ってなるし、方言、って言うと、方言しゃべってー、とか言われて、は? ってなったし」
「は? ね、なるなる」
「だっぺとか言うのとか言いよる。言わんし」
「言わんねー。あーやー不安になってきたー。ねぇまなぽん、もし大学馴染めなかったらしょっちゅう遊ぼね?」
「もちろんでしょ。ってか私が馴染めない可能性大ね」
「そしたら言ってね」
「言うね言うね。あとね、水まずい」
「それね! まずい!なんでコンビニにあんなにいっぱい種類の水置いてあんのと思ってたけどね、こういうことね!」
「あぁ、そういうことね! やっと分かったね。まずいからね」
まなぽんは、あーっと天井を見上げながらココナッツのドーナツを大きな口でかぶりついた。まなぽんの鼻息で細かいココナッツが飛んで笑った。
「ね、大学終わったあとにご飯行けるしさ、東京なら夜でもどこでも開いてるよね、会おうね。他にこのへんに来てる人いんしさ」
「ね、ね。そうするそうする」
「サークルとかどうしよっかなぁ。テニスとか?」
「ありがちねー、それ、なんか遊びそうなイメージあるー」
「あるねあるねー」
「ゼミとかあるんかね、先生は教授でしょ?」
「あるねあるねー、それ聞くね聞くねー」
まなぽんと一緒に大学のイメージを言い合っているうちに寂しさが薄れてきて、ドーナツを次々食べて、麦茶をがぶがぶ飲んで、おかしいほど楽しかった。楽しくて、一人暮らしの部屋も、まだ友達のいない街も、冷たく感じたマンションのフローリングも、道に迷ってきた街も、なんだかもう私を迎え入れてくれているような気がした。
ハンガーにかけた入学式用の新品の紺スーツに、ほとんど履いたことのないストッキングがぶらさがっているのも、なんだか明後日には似合うような気がした。